「60歳を過ぎてから一生懸命働くと、年金を減らされて損をするらしい」
経営者の皆様や、定年を間近に控えたシニア層の方々から、今でもよく聞かれる言葉です。 社会保険労務士として日々現場を歩いていると、この「働いたら損」という強迫観念がいかに根深く日本社会に蔓延しているかを痛感します。
結論から申し上げましょう。 2026年(令和8年)4月現在、その常識は完全に過去の遺物となりました。 今の制度は「働けば働くほど得をする」構造へと、劇的な変貌を遂げています。
しかし、なぜこれほどまでに「年金を減らされる」という恐怖が人々の心に刻み込まれているのでしょうか。 それには、かつて国が敷いていた「非情なルール」の存在がありました。
今回は、私がかつて自治体の税金Gメン(徴税吏員)として財産調査や差し押さえに奔走していた時代の「ある記憶」から、在職老齢年金という制度の残酷な歴史と、そこから解放された現在の私たちがどう立ち回るべきかをお話しします。
第1章:2012年の記憶。年間100万円を奪われた、再雇用おじいちゃんの涙
今から14年前の2012年。 私が役所で税金の滞納整理に明け暮れていた頃の話です。 私が滞納整理を行っていた都道府県でその名を知らない者がいないくらい知名度の
がある男性がいました。 彼は定年退職後、再任用職員として私の役所に雇用され、役所から50km以上ある所に住みながらも、誰よりも早く出勤しては、嫌な顔一つせずに若手職員に聞かれたことを瞬時になんでも答えてくれる、絵に描いたような真面目な「おじいちゃん」でした。
ある日の夕暮れ時、缶コーヒーを私に手渡してくれた彼が、私にポツリとこう漏らしたのです。
「俺ね、こうして毎日フルタイムで一生懸命働いているんだけどさ。働けば働くほど、年金が年間で100万円も削られちゃうんだよ。これじゃあ、働かないで家で寝ていたほうがマシだと思わないかい?」
その力ない笑顔を見た瞬間、私は言葉を失いました。
当時の在職老齢年金制度(60歳台前半)には、「28万円の壁」という、極めて残酷なボーダーラインが存在していました。 給与(総報酬月額相当額)と年金(基本月額)の合計が「28万円」を超過すると、その超えた分の半額が、容赦なく年金から支給停止(カット)されるという仕組みです。
当時の彼が仮に月額15万円の年金をもらう権利があり、再雇用で月額25万円の給与を得ていたとしましょう。 合計は40万円。 28万円の壁を「12万円」オーバーしています。 その半額である月額6万円の年金が没収されます。 年間にしてなんと72万円。 もし、もう少し給与が高ければ、彼の言う通り「年間100万円」の年金が、ただ真面目に働いたという理由だけで消滅していたのです。
当時の私は、滞納者から1円でも多く税金を回収する「役所の矛」でした。 税金を納める能力があるのに逃げる人間を追い詰めるのが仕事です。 しかし目の前には、社会のために労働力を提供し、そこからしっかり税金も社会保険料も納めている勤労者が、国からペナルティのように年金を没収されている。
「取るものは取るくせに、出すものは渋るのか」
行政の理不尽な論理に対し、どうしようもない憤りを覚えた瞬間でした。 これが「働いたら損」の正体であり、シニアの働く意欲を根こそぎ奪う元凶だったのです。
第2章:なぜ「28万円の壁」は存在したのか?行政のしたたかなロジック
そもそも、なぜ国はこのような労働意欲を削ぐような制度を作ったのでしょうか。 当時の国の理屈はこうです。
「シニア世代がいつまでも労働市場に居座ると、若者の雇用が奪われてしまう。 だから、年金をもらえる世代には、働きすぎないようにブレーキをかけて、早く引退してもらおう」
つまり、年金カットは「若者のための雇用対策」という大義名分のもとに作られた、国策としての引退勧告装置だったのです。
しかし、このロジックは少子高齢化の猛烈なスピードの前に、あっけなく崩れ去ります。 若者の絶対数が減り、どの業界も深刻な人手不足に陥りました。 「若者に席を譲れ」どころか、「シニアが引退したら会社が回らない、日本経済が止まる」という絶望的な状況が訪れたのです。
さらに、行政側(税収を確保する側)からすれば、シニアに家で寝ていられると困ります。 働いて所得税や住民税を納め、厚生年金保険料を払い続けてくれないと、国の財源が底をついてしまうからです。
ここで国は、手のひらを返します。 「引退勧告」から「生涯現役の推奨」へ。 かつて若者のために引退を迫っていた国が、今度は「どうかいつまでも働いて、税金と保険料を納めてください」と方針を180度転換したのです。
第3章:2026年の革命。ついに「65万円の壁」へ、シニアの完全解放
時代の変化とともに、在職老齢年金の壁は少しずつ引き上げられてきました。 2022年には65歳未満の基準も「47万円」に統一され、その後「51万円」へと上がり、そしてついに今、歴史的な大転換を迎えました。
2026年(令和8年)4月、支給停止調整額は一気に「65万円」へと引き上げられました。
これは単なる物価スライドや微調整ではありません。 国が「もう年金カットでシニアの労働を阻害することはしない」と白旗を揚げたに等しい、劇的な変化です。
この「65万円の壁」がどれほどのインパクトを持つか、具体的な数字で見てみましょう。 たとえば、月に「15万円」の厚生年金を受け取っている60代後半のベテラン技術者がいるとします。 彼が年金を1円も減らされずに稼げる給与額は、なんと「月額50万円(賞与込みの平均)」です。
年収にして約600万円を稼ぎ出しながら、年金も年間180万円を全額フルでもらえる。 あの日、28万円の壁に阻まれて「年間100万円削られる」と肩を落としていた役所のおじいちゃんに、今のこの制度を見せてあげたいと心から思います。 「年金が減るから、給与は低く抑えて週3日だけ働くよ」といった、企業にとっても労働者にとっても不毛な駆け引きは、もう必要ないのです。
第4章:年金をもらいながら「増やす」、新たな攻めの戦略
さらに、2022年の改正から導入された「在職定時改定」という強力な制度の存在を忘れてはなりません。
かつては、働きながら厚生年金保険料を払い続けても、その分が年金額に反映されるのは「退職した時」か「70歳になった時」という遠い未来の話でした。 しかし今は違います。 働きながら納めた保険料が、「毎年10月」に年金額に上乗せされて即座に還元されるようになったのです。
つまり、今の65歳以上の最適解はこうです。 「65万円の枠をフルに活かして最大限の給与を稼ぎ、年金を全額もらいながら、さらに毎年10月に自分の年金額をレベルアップさせていく」
これが、2026年現在の「働いたら得をする」の完全なる正体です。
終わりに:私は、理不尽から会社と個人を守る「盾」になる
制度は変わりました。 しかし、現場の経営者やシニア層には、まだまだ「昔の常識」がこびりついています。 古い知識のまま、優秀なシニア人材の給与を不必要に抑え込み、結果としてモチベーションを下げてしまっている企業を私はいくつも見てきました。
税金Gメンとして、国や行政の「残酷なロジック」と「手のひら返し」の歴史を最前線で見てきた私だからこそ、断言できます。 法律や制度は、知っている人間だけを守り、知らない人間からは容赦なく搾取します。
社会保険労務士オフィス LIFE ONE は、そうした理不尽から皆様を守るための「盾」です。 「年金を最大限生かしつつ、会社の戦力としてフル回転してもらうための賃金設計」を、元徴収官の冷徹な計算と、現場を知る社労士の熱意で構築します。
あの日のおじいちゃんのように、真面目に働く人が損をするような社会には二度とさせません。 「65万円の壁」という新たなルールを最強の武器として、明日からまた共に、会社と従業員の未来を守り抜きましょう。

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