「苦労して採用した正社員が、入社してわずか数週間で『適応障害』の診断書を持ってきた。そのまま休職に入ってしまい、連絡も取りづらい。まだ試用期間中だし、会社としてはすぐにでも解雇したいが、どう動くべきか分からない……」
これは、全国の多くの経営者や人事担当者が今まさに直面し、最も頭を抱えているリアルな労務トラブルの一つです。
「ろくに仕事もしていないのだから、すぐにクビにできるだろう」と感情のままに解雇を強行してしまうと、後から「不当解雇」として労働審判や裁判に持ち込まれ、数百万単位の金銭補償(バックペイ)を毟り取られる致命的な地雷になりかねません。
今回は、元行政の現場で数々の修羅場を見てきた労務のプロフェッショナルとして、会社を守りつつ、労働者とのトラブルを完全に回避して安全な着地点へ導くための「冷徹な実務のロードマップ」を徹底解説します。
1. 経営者が陥る最大の罠「14日以内なら自由に即解雇できる」の嘘
日本の労働法は、世界的に見ても「労働者保護」の側面が極めて強く設計されています。ここで多くの経営者が自爆してしまう致命的な勘違いが「採用から14日以内なら、自由に即日解雇できる(ノーリスク期間である)」という誤解です。
確かに労働基準法第21条には、採用から14日以内であれば「30日前の解雇予告」や「解雇予告手当の支払い」を免除する規定があります。しかし、これはあくまでお金の支払いや予告という「手続き」を免除しているだけに過ぎません。
労働契約法に定められた最強のシールドである「解雇権濫用法理」は、入社1日目であっても100%作動します。客観的に合理的な理由がなく、社会通念上相当であると認められない解雇は、その権利を濫用したものとして「無効」になります。
つまり、「入社直後にメンタル不調になったから」という理由だけで、回復の機会も与えずに14日以内で即日解雇を強行すれば、裁判では高確率で「不当解雇」と判定されます。14日以内だからといって、経営者が無敵になれるわけでは決してないのです。
2. なぜ労働者は「休職」という選択にこだわるのか?
「会社にそこまで貢献していないのだから、治療に専念するためにも一度退職してリセットすればいいのに」と、経営者目線では不思議に感じるかもしれません。しかし、ここには労働者側が抱える「切実な生活への不安」が隠されています。
その最大の要因が、「傷病手当金」というセーフティネットの存在です。
傷病手当金は、病気で働けなくなった際に給与の約3分の2が支給される生活の基盤です。「退職しても継続して受給できるのでは?」と思う経営者の方も多いかもしれませんが、それには「退職日までに継続して1年以上の社会保険加入歴があること」という厳しい条件があります。
採用直後のスタッフの場合、前職からの離職期間(ブランク)があったり、国民健康保険への切り替え期間があったりして、この「継続した1年」を満たしていないケースが少なくありません。つまり、今の会社を退職した瞬間に、傷病手当金の支給がストップしてしまう可能性が高いのです。
労働者にとって、それは「明日からの収入が完全に途絶える」という計り知れない恐怖を意味します。決して会社に悪意を持って居座ろうとしているわけではなく、「休職という形をとってでも、生活の命綱(健康保険の資格)を手放すわけにはいかない」という防衛本能が働いている状態なのです。
この「見えない不安の正体(ファクト)」を理解せずに、表面的な正論だけで退職交渉を進めようとすると、お互いの感情がすれ違い、事態は間違いなく泥沼化します。
3. 会社を守る最強の盾:「就業規則の休職規定」
感情的な解雇がNGであり、労働者もお金への恐怖から辞めたがらない。この八方塞がりの状況を打破し、会社を守る最強の防壁となるのが「就業規則」です。
特に入社直後のトラブルにおいて勝敗を分けるのは、就業規則内の「休職規定」がどのように設計されているかです。例えば、以下のような規定が整備されていれば、会社は圧倒的に有利な立場に立てます。
- 「休職期間は1ヶ月とし、期間満了日までに復職できない場合は、同日をもって自然退職(当然退職)とする」
- 「試用期間中の者には、原則として休職を適用しない(ただし特別に認めた場合は〇ヶ月を限度とする)」
このように「休職期間の明確なデッドライン」と「期間経過後の自然退職」がルール化されていれば、会社側がリスクを冒して「解雇」という劇薬を使う必要はありません。規定通りに時間が経過するのを待つだけで、自動的に雇用契約を終了させるシステムが作動するからです。ネットの無料テンプレートを使い回し、「一律で休職は3ヶ月」などと設定してしまっている会社は、今すぐ規定を見直す必要があります。
4. トラブルを回避し「自然退職」へ導く実務の3ステップ
実際に「休職期間1ヶ月、過ぎたら自然退職」という就業規則がある前提で、トラブルを解消しながら着地させるための冷静なステップを解説します。
ステップ①:「休職命令書」を完全な書面で交付する
言った・言わないの水掛け論を防ぐため、診断書を受理した段階で必ず「休職命令書」というエビデンス(証拠)を発行します。
- 「提出された診断書に基づき、〇年〇月〇日から1ヶ月間、休職を命じます」
- 「当社の就業規則第〇条の規定に基づき、休職期間満了日までに復職できない場合は、同日をもって自然退職となります」
この一文を明記した書面を交付することで、「ルールに基づき、事前にデッドラインを明確に通知していた」という事実がストックされ、後から不当だと騒がれる余地を封じ込めます。
ステップ②:傷病手当金の受給要件を整理し、合意退職を探る
労働者の最大の執着である「お金の不安」を整理します。 もし前職からの通算で「継続1年」の要件を満たしているなら、「ルール上1ヶ月で自然退職になるけれど、要件を満たしているので退職後も手当は継続してもらえる。会社に籍を置くことにこだわらず治療に専念してはどうか」と促せます。
逆に1年の要件を満たしていない場合は、自然退職の期日が来れば手当は打ち切られるという厳しい現実を双方が認識することになります。会社としては就業規則のルール通りに自然退職として処理を進めつつ、必要に応じて生活保護などの別のセーフティネットの情報をアナウンスする等、冷徹ながらも誠実な対応の記録を残すことが重要です。
ステップ③:復職の申し出があった場合の「産業医面談」
もし1ヶ月のデッドライン直前に、本人が「手当が打ち切られるから無理してでも復職したい」と言い出した場合は、主治医の診断書だけを鵜呑みにしてはいけません。必ず会社の指定する医師(産業医など)との面談を挟み、「本当に元の業務に耐えられる状態に回復しているか」を客観的に判断するプロセスを設けてください。これを怠って復職させ、再び体調を崩した場合は、会社の安全配慮義務違反が問われます。
5. 結論:労働問題は「感情」ではなく「システム」で解決せよ
採用直後のメンタル不調トラブルは、経営者にとって怒りや焦りが先行しやすい場面です。しかし、感情に任せて動けば、労働法という巨大な壁に跳ね返され、会社が致命傷を負います。
労働問題の防衛戦は、「自社の就業規則というインフラを完璧に整え、法的なステップを1ミリの狂いもなく踏んでいくシステム」を構築できるかどうかにかかっています。行政の調査官がどこを見るのか、労働基準監督署がどんな証拠を求めるのか。その視点を持っているかどうかが、会社の運命を左右するのです。
「ウチの就業規則は本当に会社を守れる内容になっているか?」「今まさにトラブルが起きていて、どう動けばいいか分からない」という経営者の方は、地雷が爆発する前に、ぜひ当オフィスまでご相談ください。貴社の現状を冷徹に分析し、経営者を徹底的にお守りする最強の生存戦略を構築いたします。

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