本日のこの記事で、当ブログは記念すべき「第100本目」を迎えることができました。
いつも、週末の夜や移動中のスマホでこのブログを読んでくださっている経営者の皆様。そして、日々の厳しい経営の最前線で、孤独に電卓を叩きながら戦っている社長の皆様。本当にありがとうございます。
普段の私は、経営に潜む「労務のバグ」を冷徹に仕分けし、時に厳しい言葉でバックオフィスのガサ入れを迫る、少し口の悪い専門家かもしれません。
しかし、100本目という大きな節目を迎えた今日だけは、
興味はないと思いますが、少しだけ「私自身の話」をさせてください。
なぜ、私がここまで執拗に「経営者を守るための防衛線(ルール)」にこだわるのか。 なぜ、綺麗事や理想論を一切排除し、冷徹なファクトと数字だけで組織のリアルを語るのか。
それは、私自身がこれまで、泥水の中で何度も電卓を叩き間違え、絶望的な挫折を繰り返し、国家権力の恐ろしさを肌で知り、そして「法律という名のルール」に文字通り命を救われてきた、波乱万丈すぎる泥臭い人生を歩んできたからです。
今日は、私が大学を卒業してから、42歳・実務未経験でこの業界に飛び込み、経営者の最強の盾となるまでの「全記録」を、包み隠さず告白します。
第1章:肉と汗の営業マンから、冷徹な「税金Gメン」への転身と最初の挫折
私の社会人生活のスタートは、華やかなものではありませんでした。 大学卒業後、最初に入社したのは日本ハムの子会社。そこで「食肉卸売営業」として3年間、文字通り肉と汗と泥にまみれながら、現場の商売の厳しさを骨の髄まで叩き込まれました。1円の利益を出すことがどれほど大変か。現場でモノを売る人間の執念とは何か。私のビジネスの原点(バイブス)は、間違いなくこの3年間にあります。
その後、私は全く異なる世界へと足を踏み入れます。 地方税の「税金Gメン(徴収官)」としてのキャリアです。
約9年間、私は国家権力の一部として、税金を滞納している個人や法人の元へ足を運び、財産調査を行い、時には容赦なく銀行口座や売掛金を「差し押さえ(ガサ入れ)」する日々を送りました。「税金(キャッシュ)が回らなくなった瞬間、会社は死ぬ」という冷徹なファクトを、私は最前線で何百件と見届けてきました。
このGメン時代、私は自分のキャリアの武器を作るため、税務の難関国家資格を目指しました。 独学で這いつくばって「日商簿記2級」を取得し、働きながらさらに難易度の高い「簿記論」と「財務諸表論」の勉強に挑みました。しかし、国家資格の壁は圧倒的に高く、結果は不合格。1年で完全に挫折しました。
同時期に、実務経験を積もうと税務・会計事務所への転職を試み、手当たり次第に応募書類を送りつけました。しかし、現実は残酷です。
結果は「すべて書類選考落ち」
面接にすら進めず、自分の市場価値の低さを思い知らされました。
第2章:上京、4年間の死闘、そして暗黒時代
「このままでは終われない」 私は一念発起し、今度は「司法書士」という超難関資格に狙いを定め、上京を決意します。
公務員という安定した身分を捨てての挑戦。毎日テキストと向き合い、人生のすべてを勉強にフルベットしました。しかし、またしても現実は私の甘い電卓を粉砕します。
勉強期間、実に4年間
どれだけ時間を費やしても合格には届かず、私の挑戦は無惨に打ち砕かれました。
夢を諦め、何者にもなれなかった私は、生活のためにアルバイトを重ねる日々へと転落します。「自分には何の武器もないまま、ただ歳だけをとっていくのか」という終わりの見えない暗黒のトンネル。周りの同年代が社会的な城を構築していく中、私だけがアルバイトのタイムカードを押し、安い時給(フロー)の切り売りで食いつなぐ日々。この時期の絶望感と焦燥感は、今でも私の魂の奥底にこびりついています。
第3章:1日に2度車に轢かれる悪夢と、無敵の魔法(法律)との遭遇
そんな先の見えない日々に、運命を根底から覆す、あり得ない事件が起きます。 アルバイトの勤務中、原付バイクで現場へ移動していた時のことです。ノーウィンカーで急に曲がってきた車にハネられるという事故に遭いました。 そして信じられないことに、その数時間後、同じ日のうちに「2度目」の事故(再びノーウィンカーの車に轢かれる)に遭ったのです。
1日に2度も車に轢かれるという文字通りの悪夢
怪我を負い、働くことができなくなった私にとって、「働けない=収入がゼロになる=死」を意味しました。パニックになり、明日からの家賃や生活費への恐怖で目の前が真っ暗になりました。
しかし、そこで信じられないことが起こりました。 休んでいるにもかかわらず、労災保険の「療養補償給付」と「休業補償給付」により、治療費が全額カバーされ、生活に必要なお金が振り込まれたのです。
さらに、これはまた別のアルバイト先での出来事ですが、会社都合で休業になった際、働いていないのにもかかわらず労働基準法に基づく「休業手当」が支払われた経験もしました。
働いていないのに、口座にお金が振り込まれる。 どん底にいた私にとって、それはまるで魔法のように見えました。
「一体、どんな仕組みでこんなことが起きているんだ?」 夢中で調べた私は、日本の労働法がいかに強力なセーフティネットとして機能しているかを知りました。そして、その法律の最前線に立ち、私の大好きな「給料関係」や「年金関係」を巧みに操る専門家がいる。
それが「社会保険労務士(社労士)」だったのです。
「これだ! 私がこれまでの人生でずっと探し求めていた『人を守るための最強の武器』は、これだったんだ!」 長い挫折のトンネルの先に、ようやく一条の光が差し込んだ瞬間でした。
第4章:狂気の1400時間と、42歳での一発合格
目標が明確になった瞬間からの私の行動は、まさに「野生のスピード」でした。
アルバイトで生計を立てながら、すべての空き時間を社労士試験の勉強にフルベットしました。 机に向かうのは当然のこと、電車での移動中、休憩時間、歩いている時間さえも、脳内には常に労働基準法や健康保険法の条文が駆け巡っていました。
総勉強時間、1,400時間。 期間にして、1年3ヶ月
年齢はすでに40代に突入していました。しかし、もう二度とあの挫折の泥水をすするのは御免でした。 そして2024年。私は、合格率数パーセントと言われるこの過酷な国家試験に、一発合格を果たしました。
食肉営業での汗、Gメンとして浴びた怒号、書類選考の全落ち、4年間の挫折、そして1日に2度も車に轢かれたあの冷たいアスファルト……そのすべての過去の点と点が一本の線に繋がった瞬間でした。
第5章:42歳・未経験での就職、そして2027年1月の「要塞」へ
合格を手にしたからといって、すぐに成功が約束されるほど実社会は甘くありません。 私には実務経験が1ミリもありませんでした。
「42歳・実務未経験」
これが転職市場における私の冷徹なファクトでしたが、私の熱量とこれまでの泥臭い経歴を買ってくれた事務所があり、プロとしての第一歩を踏み出すことができました。 現在は2社目の社労士法人に勤務しており、1社目とトータルで約1年半、リアルな現場の給与計算、就業規則の改定といった実務の最前線で、泥臭く牙を研ぎ続けています。
すべては、明確なターゲットから逆算した行動です。
「2027年1月、社労士として独立登録を果たす」
これが、私のタイムラインに刻まれた絶対的な防衛線です。 今、このブログを通じて発信している数々の知見は、私が来たる2027年に向けて、経営者の皆様を守るための「最強の要塞」を構築していくための、リアルタイムの備忘録であり、私自身の決意表明でもあります。
終章:私が、あなた(経営者)の最強の盾になる理由
なぜ、私が社労士になったのか。 それは、
「ルールを知らないことで涙を流す経営者を、この世から一人でも多く救うため」
です。
Gメン時代、私は国家権力の恐ろしさを誰よりも知りました。そして数々の挫折を経て、「お金がないことの恐怖」と「法律に守られることのありがたみ」を身をもって知りました。
だからこそ、私は経営者の皆様に、時に耳の痛い冷徹なファクトを突きつけます。 社長の感情や熱い想いだけでは、会社や従業員を守ることはできません。会社を永続させるのは、強固な「仕組み」と「ルール」という名のバックオフィスだけだからです。
記念すべき100本目のこの記事は、皆様の城を守り抜く存在になるための、私からの「宣戦布告」です。
明日からもまた、経営に潜む地雷を冷徹に仕分けし、皆様の会社のバックオフィスを強固な要塞へと変えるためのノウハウ(弾)を、野生のスピードで撃ち込み続けます。
これからの私の歩み、そしてこのブログの進化を、どうか最前線で見届けてください。 100本分の感謝を込めて。
明日からも、共に最高の城を築き上げていきましょう!

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