全国的に最低賃金の大幅な引き上げが続いています。人件費の高騰はもちろんのこと、現場を預かる経営者や人事担当者を悩ませているのが、パート・アルバイトの「年収の壁(103万円・106万円・130万円)」に伴う働き控え問題です。
こうした状況下で、ある経営者様からこのようなご相談をいただきました。

「最低賃金が上がるとパートの年収が130万円を超えてしまい、社会保険の扶養から外れてシフトを減らされてしまう。何とか基本給(時給)は据え置きにしたまま、上がった差額分を『〇〇手当』として別枠で支給してカバーすることはできないだろうか?」
結論から申し上げます。この手法は労働法および最低賃金法上、実務において一切通用しません。
手当の名目をどのように工夫したとしても、最低賃金違反のリスクを抱えるか、あるいは130万円の壁を突破してシフト削減を招くかのどちらかに行き着きます。
本記事では、社労士有資格者の視点から、なぜ「基本給据え置き+手当支給」が不可能なのかという法的根拠と、企業が今すぐ取るべき現実的な対応策をで徹底解説します。
1. 経営者が陥りがちな「手当で逃げる」という発想の罠
最低賃金が引き上げられた際、企業が直面するリスクは主に2つあります。
- 基本給(時給)を上げることで、残業代や休日手当の割増賃金単価が跳ね上がる
- 時給が上がることでパート従業員の年収が前倒しで上限に達し、年末にシフトが入らなくなる
これらを回避したいという心理から、「基本給(時給)そのものは据え置き、最低賃金との差額分を各種手当として支給すれば、基本給ベースの計算を抑えられ、調整もしやすいのではないか」というアイデアが生まれます。
一見すると合理的な工夫のように思えますが、日本の賃金法制(最低賃金法・労働基準法)はこのような「抜け道」を厳格に塞いでいます。
2. なぜ不可能か?最低賃金法第4条が定める「除外手当」の壁
「手当で支給する」という手法が失敗する第一の理由は、最低賃金に達しているかどうかを判定する計算式から、特定の手当が法律上「明確に除外されている」ためです。
最低賃金法第4条3項および同施行規則第2条に基づき、都道府県ごとに設定される地域別最低賃金の対象となる賃金には、毎月支払われる通常の賃金のみがカウントされます。
最低賃金の対象から「除外される」主な手当
- 精皆勤手当
- 通勤手当
- 家族手当
- 時間外労働、休日労働及び深夜労働に対する割増賃金(残業代等)
- 臨時に支払われる賃金(結婚手当、慶弔手当など)
- 1ヶ月を超える期間ごとに支払われる賃金(賞与、ボーナスなど)
「手当支給」で発生する2つの不都合なシナリオ
経営者が基本給据え置きの代わりに手当を支給しようとした場合、以下のいずれかのパターンに陥ります。
パターンA:通勤手当や家族手当などに上乗せして支給した場合
- 結果:即座に最低賃金法違反(違法)
- 解説:通勤手当や家族手当は、最低賃金の比較対象から法律上除外されます。どれだけこれらの手当を増額しても「最低賃金チェック用の時給」は算定上1円も上がっていません。基本給が最低賃金を下回っていれば、その時点で最低賃金法違反(50万円以下の罰金:同法第40条)となります。
パターンB:除外されない手当(「調整手当」「特勤手当」等)として支給した場合
- 結果:最低賃金はクリアできるが、年収130万円の壁は100%回避不可能
- 解説:通勤手当や家族手当に該当しない「調整手当」などの名称で毎月一律支給する場合、その手当を1時間あたりに換算した金額を基本給(時給)に加算して最低賃金と比較することができます。そのため最低賃金違反は回避できます。しかし、これによって「次の決定的な問題(年収の壁)」が発生します。
3. 手当であっても「年収130万円(106万円)の壁」は回避できない
「調整手当」等として毎月支給し、最低賃金をクリアできたとしても、経営者が恐れていた「130万円の壁による働き控え」を防ぐことは不可能です。
社会保険(健康保険・厚生年金)の扶養要件である「年収130万円(一定規模以上の企業では106万円)」の算定対象となる「見込み年収」や総収入には、基本給だけでなく、毎月決まって支給される手当もすべて含まれるからです。
収入総額が増える構造は変わらない
時給1,000円で週30時間(月120時間)働いていたパート従業員を例に考えます。
- 改定前:月収12万円(年収144万円 ➔ 130万円を超えるためシフト調整が必要だった)
地域別最低賃金が1,050円に引き上げられた際:
- 対応①:時給を1,050円に引き上げた場合 ➔ 月収12.6万円
- 対応②:時給1,000円のまま「調整手当(50円/時相当)」を支給した場合 ➔ 月収12.6万円
名目が「時給(基本給)」であろうと「調整手当」であろうと、労働者の手元に入る総支給額(月12.6万円)は変わりません。
社会保険の扶養認定や税制上の控除(配偶者控除等)において、「基本給以外の毎月支給される手当は年収カウントから除外する」というルールは存在しません(※実費弁償的な通勤手当等を除き、通常の課税対象・社会保険対象収入となります)。
したがって、手当という形をとっても総収入は増加するため、パート従業員側は「130万円を超えて社会保険料の自己負担が発生するのを避けるため、労働時間を減らしたい」と申し出ざるを得なくなります。
4. 割増賃金(残業代)の単価計算における手当の扱い
さらに、経営者が「基本給を抑えて手当に逃がしたい」と考える裏には、「残業代(時間外手当)の基礎単価を上げたくない」という意図が含まれているケースが多々あります。
しかし、労働基準法第37条における割増賃金の算定基礎においても、手当を除外するためのハードルは非常に厳格です。
割増賃金の基礎から「除外できる」手当(限定列挙)
労働基準法上、割増賃金の単価計算から除外できる手当は以下の7つに限定されています。
- 家族手当
- 通勤手当
- 別居手当
- 子女教育手当
- 住宅手当
- 臨時に支払われた賃金
- 1ヶ月を超える期間ごとに支払われる賃金
単に「調整手当」「特勤手当」「最低賃金対応手当」といった名称で手当を新設したとしても、これら7つの除外手当には該当しません。
結果として、残業代を計算する際にもその手当の金額を時給単価に含めて計算しなければならず(労働基準法違反・未払い残業代リスク)、経営者側の「コストを抑えたい」という狙いは完全に崩れ去ります。
5. 最低賃金引き上げと「年収の壁」に企業が取るべき現実的アプローチ
「基本給据え置き+手当支給」というウルトラC(抜け道)が存在しない以上、企業は正面から制度と向き合い、現実的な対策を講じる必要があります。
推奨される具体的なステップは以下の4つです。
【最低賃金・年収の壁 対策の4ステップ】
1. 従業員の「就労希望(社会保険に入りたいか・扶養内でいたいか)」の個別ヒアリング
2. 「キャリアアップ助成金(短時間労働者労働時間延長支援コース)」の活用検討
3. 社会保険加入(週20時間以上)を前提としたフルタイム化・労働時間延長の提案
4. 業務プロセス見直しによる生産性向上(単価アップの原資確保)
対策1:「キャリアアップ助成金(短時間労働者労働時間延長支援コース)」の積極活用
政府は最低賃金引き上げに伴う「年収の壁」対策として、厚生労働省の助成金制度を大幅に拡充しています。
「キャリアアップ助成金(短時間労働者労働時間延長支援コース)」を活用すると、短時間労働者が「年収の壁」を意識せずに働けるよう、収入を増加させる取り組み(賃金アップまたは労働時間延長、またはその両方など)を行った企業に対し、労働者1人あたり最大75万円の助成が全額支給されます。
対策2:シフトの再設計と労働時間の「二極化・最適化」
パート従業員を以下の2つのグループに明確に分類し、契約とシフトを再構築します。
- Aグループ:どうしても扶養枠内(130万円/106万円未満)に収まりたい層
- 時給が上がった分、あらかじめ年間労働時間(月間シフト)を縮小する契約に変更する。
- 業務整理を行い、短い時間でも高い生産性を出せる配置にする。
- Bグループ:これを機にしっかり稼ぎたい(社会保険加入OK)層
- 週の所定労働時間を20時間以上(または30時間以上)へ延長し、社会保険に加入させる。
- 助成金を活用して手取り減少を補填しつつ、主力戦力としてフル稼働してもらう。
対策3:就業規則および賃金規程の見直し
最低賃金の引き上げに伴い、既存の賃金体系(給与テーブル)や手当の要件が不整合を起こしていないか点検が必要です。
特に、正社員と非正規雇用社員の間で「不合理な待遇差(同一労働同一賃金)」が生じていないか、就業規則や改定通知書の記載をリーガルチェックすることが、将来の労務トラブルを防ぐ鍵となります。
6. まとめ:抜け道を探すリスクより、正攻法での労務改善を
最低賃金の大幅引き上げ時代において、「基本給を据え置いて手当で調整する」という手法は、最低賃金法違反や未払い残業代問題、そしてパートの離職・シフト削減を招く「リスクしかない選択肢」です。
- 最低賃金の計算から除外される手当に振り替えると「違法(最低賃金違反)」になる
- 除外されない手当として支給しても「年収130万円の壁」によるシフト削減は防げない
- 残業代の計算基礎からも除外できず、コスト削減効果はない
人手不足が深刻化する今、必要なのは「いかに法律の枠内で誤魔化すか」ではなく、「助成金などの国の支援策をフル活用し、従業員が手取りを減らさずに安心して長く働ける環境(社会保険加入と生産性向上)をどう作るか」です。
当事務所では、貴社のパート・アルバイトの就労状況の分析から、就業規則の改定、キャリアアップ助成金の申請、社会保険適用拡大に伴う人件費シミュレーションまで、ワンストップでサポートしております。
最低賃金引き上げや「年収の壁」への対応でお悩みの経営者様・人事責任者様は、ぜひお気軽にご相談ください。

コメント